熊本地震の本震から4年。
4年という歳月を経て、やっと本震から4年と数えられるようになった。
確か、これまでは、気象庁が本震と誤報した4月14日の前震から数えていたはずだ。
しかし、このことで気象庁の罪の重さがますます強調されるということでもある。
気象庁の地震に関する発表は結果的に多くの人を殺すことになる。
これは木曽御嶽山での噴火の前兆について的確に発表しなかったことも同様。
ただし、今のように何でも安全側に発表するのはオオカミ少年でしかない。
また、熊本地震では木造の1階で寝ることが大地震時には命を奪うリスクがあると極めて実証的に示された地震でもある。
このことは、地震対策として真っ先に取り組むべきことなのだ。
忘れてはいけない大切な教訓だ。
何度でも言おう、2階で寝よう!
それだけで、たったそれだけで多くの命が助かるのです。
どんなに気象庁の発表がデタラメでも、デタラメを連発するからこそ、自らできることに取り組むことが重要なのです。
全く大変なことではない、2階で寝るという木造住宅の正しい使い方。
地震大国の日本の木造住宅の取説でもっとも大事なことなのです。
Yahoo!より、
被災の現場で鎮魂の祈り 熊本地震「本震」から4年
4/16(木) 5:03配信朝日新聞デジタル
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200416-00000005-asahi-soci
記事より、
熊本地震で2回目の最大震度7を観測した「本震」から16日で4年を迎えた。本震による被害が大きく、関連死を含め計31人が亡くなった熊本県南阿蘇村では本震発生時刻の午前1時25分、遺族らが被災の現場を訪れ、鎮魂の祈りに包まれた。
大規模な斜面崩落に車ごと巻き込まれて亡くなった熊本学園大生の大和晃(ひかる)さん(当時22)の両親は同じ時刻、現場近くを訪れた。
午前1時25分、川の音だけが聞こえる現場を見渡す場所で、晃さんの父卓也さん(61)と母忍さん(52)ら遺族は10分ほどの間黙禱(もくとう)を捧げた。泣き崩れそうになる忍さんを卓也さんが抱きかかえるようにして立った。卓也さんはその後、「当時、あの子が1人でここにいて、非常に怖かった瞬間もあったと思う。毎年自分たちがここで寒さや静けさといった同じ状況を感じることで、あの子の心を和らげることができれば」と話した。
2016年4月14日に発生した前震の後、晃さんは熊本市内の友人に水を届けるなどし、自宅のある阿蘇市に戻る途中で本震が起きた。県による捜索が打ち切られた後も両親や支援者が自力で捜索を続け、16年7月末に河原で埋もれた車が見つかり、8月に晃さんは車中から遺体で発見された。
晃さんが土砂に巻き込まれた現場付近の国道57号復旧工事は今年10月にも完了する見通し。崩落した阿蘇大橋(南阿蘇村)に替わる新たな橋も、橋らしい姿になってきている。卓也さんは「早く復旧して元の通行ができるようになってほしいけど、自分たちがそこを通る時はきついと思う」。忍さんも「インフラが復旧し、みんな元の生活に戻れる。そうなんだけど、復旧に伴って風化していくものがあるんだろうなと感じる」と思いは複雑だ。
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